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  • 執筆者の写真亘 阿久津

2023年 最後の文章(エッセイ)

 最近思い出す甘い記憶。

 20代前半の話。テルアビブからハイファに向けての長距離バスだった。この路線は時折使っていて、その時も友人のキブツに向かう途中だった。観光バスのように2座席が横並びで、窓側の席から外を眺めウトウトしていた。地中海の初夏、まばゆい日差しが降り注ぐ地平を見つめながら、いつしか眠りに落ちた。

 軽やかな重みを感じて目を覚ました。隣の席には戦闘服姿の女性がいて、彼女もまた深い眠りに落ちていた。小さな頭をぼくの肩に乗せている。細く緩やかな呼吸を感じた。ブロンドとブラウンの中間色の髪を至近距離に見た。白い肌の上のニキビがとても印象的だった。華奢でコケティッシュな可愛いらしい女性だ。何だか愉快な心地の良さを感じた。彼女のM16はベルトがずれ落ち銃口がぼくを向いてしまっている。そして二人肩を寄せ合いスヤスヤと寝ている。(もっともぼくは寝たフリたが。)彼女の体温を感じながら、彼女の年齢や生い立ちについて考えてみた。(兵役期間中だから年齢はさほど離れていないはず。家に宗教があるのか。恋人はいるのか。将来の夢は何だろうか。)

 しばらくすると彼女は我に返り身を起こした。ぼくは寝たフリのまま目を閉じていた。十分な時間を置いた後ゆっくり目を開き、パラパラと本のページをめくった。ちらりと横を向くと彼女は何もしていなかった。ただ前を見ていた。隣のアジア人のことを気にするふうでもなく、数十分後には途中下車してしまった。

 勇気を出して話しかけてみても、何も起こらなかった可能性のほうが高い。だけどやっぱり面白いので、万が一のことを考えてしまう。「来てまだ日が浅くて。ハイファ周辺に何か楽しいところある?」そんな質問でもいい。自分も若かったし、ここイスラエルでは見知らぬ人に声をかけるのは十分にアリなのだ。そしてたまたま相手が「兵役終わったら日本に行ってみたいわ」ぐらいのことを言い出したら、E-mailか電話番号を交換して、交流がはじまったかもしれない。ぼくもしばらくキブツにいたのだし、連絡の一つや二つぐらい取って、私服姿の彼女と会ったかもしれない。会ってみると意外と波長が合って、互いに文学が好きだったり、日本に興味を持ってくれたり、ぼくも彼女の高校時代の話に耳を傾けたり、兵役が終わった暁には東京で再開していたかもしれない。その時はやっぱり浅草を案内して、東京タワーに登って、鎌倉に行って、夜にはいろんな話をしただろう。

 本当に「万が一」を考えると終わりがない。偶然が重なり続けて、もし人生を共にするようになって、彼女の本当の家族になったら、ぼくの今の人生はどうだったのか。現実的には当時、日本に残してきた恋人がいたし(後で別れてしまったが)、だからさらにあり得ないことなのだが、やっぱり考えずにはいられない。歳をとって彼女のニキビが消えてしまっても、思い出話として、きっと「ぼくはあの時のキミのニキビに惚れたんだ」と繰り返しただろう。あるいは日本にはいないかもしれない。ハイファの近郊で耕運機を操作しているかもしれない。ひよこ豆のサンドイッチとコーヒーの昼ご飯を済ませ、「今日は早めに帰りたい」とボヤいているかもしれない。

 今東京で仕事をしつつ、週末にクラブで歌を歌ったり、楽器を奏でたり、それはそれで悪くない生活だ。でも静まり返った部屋でふと孤独の淵に沈むとき、ぼくは彼女のことを思い出す。時は過ぎ、歳を取り、彼女はどうしているのだろうか。本当に多くの人に会ったしし、魅力的な人もたくさんいて、深い関係になった人もいる。けど、なぜか最近、彼女のことを思い出す。

 人は現実の自分と全く違う自分の姿を心に描く。そしてまた、どうにもならない日常へと戻る。人生をやり直すことはできない。だからこそ、異なるもう一人の自分を空想する。



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