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2024年最後の文章「喪失するということ」

執筆者の写真: 亘 阿久津亘 阿久津

更新日:1月1日




 母が死んだのは23年の11月のことだ。バタバタと葬式を終え、すぐ24年を迎えた。その24年もあっという間に終わり、あと一日足らずで25年になろうとしている。それで今さら認識したのだが、つまりこの365日(=一年間)とは一番長く付き合った、最も親しい人間を失った一年間であった。親密な人を失うというのは、匂いもなく、味もない。音もない、寒さも暖かさもない。ただぽっかりと穴が空いた感じだ。あるいは痛みも不便さもないのだが、自分の体の中の臓器が一つ無くなった感触だ。しかしいずれ、この穴の存在も忘れてしまうだろう。元々そんな臓器もなかったことになるだろう。宇宙の塵のように、すべては忘却の彼方へ消え去る。実際、母を思い出さない日は増えた。そしてついには、彼女を思い出すことさえ忘れてしまうのだ。

 最近かろうじて思い出すのが、彼女と会った彼女が生きている最後の日のことだ。死ぬ三日前、ぼくは母の枕元にいた。意識はないというか、口をぱっかり開けてひたすら寝ている状態で、点滴のチューブを通る液体だけで生きさせられていた。拘束された左手を握り、体温を確認してそれで帰ろうと思った。かすかな温もりを感じつつも、反応はなかった。でも手を放そうとしたその瞬間に、急に握力を感じた。最後の精一杯の力だったと思う。やせたこけた骨と皮だけの手で、握り返してくれた。けっこうな力強さを感じた。ぼくを抱いてきたこの手、ぼくの手を引いてきたこの手、そう思うとこれが本当に最後の面会になる気がして(事実そうなった)、涙がこぼれた。でもこの記憶でさえ、遠ざかりつつある。生活のために予定をこなす。忙しさは何もかも忘却させる。そしてついに、忘れないように努力することすら忘れてしまうのだ。

 ところで今年はライターの仕事で、母の生涯について連載を一本書いた。よい評判で優れた文章であったが、読み返してみてもいまいちピンとこない。また母の死を予感して書き上げた楽曲は複数あって「Tokyo*Run」もそうなのだが、曲の内容と現実の世界はまったく違った。唯一の肉親である母を喪失した孤独な主人公と、今のぼくとでは、実際のところ似ても似つかない。

 結論としてぼくの場合、母の喪失で変わったことはなく、特筆するべきものは何もない。ただ一つ奇妙な変化があって、喪失することに慣れてしまった。だから母の死をターニングポイントとして、おそらくこれからの人生は獲得ではなく喪失がメインとなるだろう。それだけ歳を取ったということだ。事実この一年でいくつか大きな物を手放した。仕事の一つもほぼ引退した。今こういうことが、驚くほど自然にできてしまう。

 新しい文章や曲を書いたりもするが、今までと意味合いは違う。仕事だって音楽だってスキルアップしようと努力するが、意味合いが違う。それは残された時間を大切に使うということだ。はじめたことをしっかりと終える。無様に終わってもいいからベストは尽くす。とにかく結果を出す。そしてそれを受け入れる。フィナーレは本当に大切だ。美しい最終楽章というのは、だらだらと前楽章を繰り返すものではない。すべてを消化し切った上で何ものも残さず、これがエンディングである。

 そのための今であり、時間である。

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